終戦記念日
我が祖父やその上の代は軍人であり、国のために戦った。
その時代からすれば、「国のため」の行為であった。
しかし、あの戦争を行った責任はある。
戦争責任を人に押し付けて逃げてきた人間のどれほど多いものか
あの時代の全日本人に責任はあったではないか
それを隠さずに「まちがっていなかった」というのもある種責任の取り方かもしれないが。
結局私はあの時代の人間ではないし、今の世界しかしらない
あの時代の人も今の日本など想像もできなかった
価値観に大きな壁がある
・・難しい・・・・・
ノーマ・フィールド教授の著書「天皇の逝く国で」には当時の長崎市長、本島氏の発言が載っている
「天皇にももちろん情報はいったでしょう。本当に平和主義者なら抗議していたでしょう。彼が何も行動できない静かな平和主義者であったのなら、そんなことは無意味だ。彼にも責任があるはずだ。」
結局、あの日の思いを受けて、日本は幸せな国になれただろうか
当時命を落とした人々が戻ってきたとしたら、「すばらしい国になったな」といってくれるだろうか
(追伸)
れにんはタイにてビルマ民主化運動についての調査中です。
タイは国王への支持が非常に強い国ですが、マルクス主義者の彼はどう思っているのかというと「すばらしい、プミポン国王は名君」とのこと。
案外いい加減です。
正体不明人物の演説について
22日昼、正体不明の人物数名が学内に侵入、左翼系演説をしていたとの情報があった。
この人物、滋賀大學の学生ではなく、中年の男性も含まれるとの事で全学連についてや法政大に行って一緒に戦おうとの演説をしていた。
法政側は知らないとのことだったが一体どういう組織なのか。
中カクハ内部において先日関西派による分派行動があったとのニュースもあり、その関係でうちの大学で支持を得ようとしたのかもしれないが完全に失敗に終わった。
本学はテスト期間に入り、キャンパスには普段以上の学生でにぎわっていた。
学生は将来のために勉学に励んでいたところ、部外者による大音量の「妨害」である。
かなり評判が悪く、最終的には大学関係者に追い出されていたようだが、これはけして「弾圧」ではない。
すべての大学において学生が攻撃的戦法を取る必要はなく、その大学の内部事情を知らない人間がそこに介入することは望ましくない。
学内で革命を訴える演説などはじめてのことであったが、うちの学生にとってはくだらないお遊びとしか映らないようだ。
私としてはけして「大学に尻尾を振る軟弱者」と他大学の諸君にレッテルを貼られるのをよしとしないが、演説よりももっと学んで海外にも出、現実を知らなければ訴えるものも人を感動させることもできないと自覚している。
おそらく今回外部から来た人物よりもうちの学生のほうが世界情勢も国際経済についても詳しい。学歴としてちょっと寂しい滋賀大だが、少人数教育の利点を生かし、すばらしい人材はたくさんいるのである。
演説する前に何人か捕まえて議論してみたらよかったのにと思う。
文・れにん
洞爺湖サミットにむけて
7月5日に最大デモがあり、逮捕者四名との事。
しかし、マスコミ情報では詳細はわからず、また、なぜ反対しているのかという要旨についての詳解はなかった。
サミットって環境問題や南北問題を話し合うんでしょ?なぜ反対なの?
この単純な疑問を多くの方が抱くであろう。しかし、「反対するのは危ない人」というレッテルを貼ったりしないでその主張を聞いてほしい。
そもそもサミットは先進国の中でも重要な国々のトップが一年おきに重要な問題を直接話し合うためにできた機会だ。
もちろん世界のさまざまな問題の解決を先進国のもつ力を利用し探る、という面もあるが、結局は「俺たちが世界を良くしよう!」というものというよりも「わが国の利権をどうするか」という話し合いの場である。
重要な国?世界約200の国家はすべて平等ではないのか?
先進資本主義国が集まって世界中の利権を自分たちのものにするために分配する、その話し合いこそがサミットなのである。
確かに途上国支援は必要であるが、南北格差の根本を作っているのはサミット参加国である。
良くも悪くもサミットをいい機会に、世界のことについてより深く調べてみてほしい。
この問題については後にまた書くとして、マスコミといえば今話題の毎日新聞の英語版についてのニュースである。
何年にもわたり日本に関しての嘘の卑猥な情報を流し続け、世界中からアクセスされていたのである。内容については調べてほしいがAVのタイトルか?というようなものである。
毎日新聞といえば太平洋戦争時の態度から尊敬していたのに今回のことでまったく許せなくなった。こんなことが許されていいのか。
マスコミは情報を市民に伝える役割があるが、それは産業であるため売れるニュースを優先し、必ずしも有益な事実のみを報道しない。
そのような性質についてみる側はまだまだ認識が甘く、マスコミがいうことだからと簡単に信じてしまう。そしてマスコミのながす情報だけでなく情報判断「良い」「悪い」についても報道そのままに自分の意見を持ってしまいがちである。
考えること、そのためには何よりも多角的な情報が必要である。
蟹工船ブームと秋葉事件
451 :名無しさん@全板トナメ参戦中:2008/06/13(金) 16:35:04 ID:lp/zPgqC0
何が悲しいって、今まで派遣の待遇改善を訴えてデモとかしてきた
奴らはいくらかいたのに、それはどこも完全に無視。
加藤が凶行に及んだら、いきなり行政も、マスコミも派遣を受け入れている会社も
騒ぎだした。
ペンより剣(この場合はナイフだが)のほうが強かったんだなと実感したこと。
【アキバ悲劇】派遣社員抱える企業に衝撃…「他人事ではない」「企業に向け様々な形で暴発起きる」スレッドより。
これは2ちゃんねるから取ったのだろうか。全然見ないからわからないがひょんなことからこの文に出会った。
「天漢日乗」
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2008/06/9_3d6c.html
というとこからのコピーですが、
「ancoo]
http://ancooo.tumblr.com/
というブログを見つけて読んでいたら発見したのでコピーのコピーのコピーです。
確かに、これじゃテロは有効じゃないか?と捕らえられてしまう。
アリストテレスは民主主義について「腐りやすく、一度腐るともう元には戻らない」と古代ギリシアにおいて鋭く分析している。
あの事件は衝撃的であり、痛ましく、けして許されるべきではない。
しかしその背景にあったものは注視せねばならない。資本主義という大妖怪の影が見えるからである。要因はそこだけではなく、もちろん個人のせいであることが大きいが、しかしいよいよ大妖怪は露骨に姿を現すようになってきたのだと思わざるを得ない。
今、蟹工船が若者の間でブームであるという。
しかし、単純にこれは格差や雇用問題には関係しないであろう。
80周年での増刷や新しい表紙による呼び込みがあり、ソ連の崩壊や共産主義勢力の衰退によって、蟹工船が「普通の文学」となり、読み手が選別されないという時代ができたのである。
ゲバラのTシャツを着る若者と同じ現象である。
では誰がこのブームを盛り上げているのか?
それは若者ではなく、大人たちではないか。
ニュースでやっている派遣について、格差についての話も、当の我々若者からしたら他人事ではないか。
彼らは格差社会や派遣労働について取り上げてその被害を語っているが、実際はどうなのだろうか。当の若者には、関心もない。
悲惨な状況が続くのは確かである。
しかし、決定的に蟹工船と違うのは、その規模のみならず、根幹となる「団結」すべき相手である。
現在の悲惨な派遣労働者は団結できない。
それは人付き合いが苦手な若者が多いなどという理由ではなく、信頼しあう状態になく、個人個人で生きる社会ができあがっているからである。
その中で、今回の事件は起きた。
派遣の間の団結がなければ労働争議も起きない。
戦おう、交渉しようという気力もない。
マルクスはこのような社会を見てどう思うだろうか。やはりもう一度叫ぶのか・・・
『労働者諸君、団結せよ。諸君は平等である。失うものは何もない。重く諸君を縛り付けているその足かせ以外は!!』
洞爺湖サミット
就職活動で東京に行ってきました。
六本木にてサミット紹介のブースを発見!
名探偵コナンをつかったパンフや体験型の空間、クイズに答えて携帯お箸をもらうなどのイベントあり。新宿では大きな白熊を客寄せにして環境問題についてアピールしたブースがあった。
さて、その六本木での写真がこれ。
なんというか、さすが政府型環境保護運動!
再処理については「環境のために」とまだいうか。
途上国支援については詳しくパンフを読んだが、日本がしてきた援助についてのわかりやすい解説がある。
ASEANに対してその関係を強調しているが、日本はパートナーになりたいのではなくASEANの主導権を握りたいのだ。それは戦前と変わらない。対等に見ようとしないことは売春行為でも現れている。東南アジアではかなり有名で欧米と日本の品のなさは誰もが知っていた。反感をもたれているし、軽蔑もされている。中年の日本人を見ると随分いやな気がした。
対等な目でみることはそんなに難しいだろうか??
努力した分認められるのは当たり前だが、それはお金でしか表わせないのか?
お金は手段であって幸せそのものではない。
必要以上は援助に回そう
グリーンピース幹部逮捕について
幹部が鯨肉窃盗で逮捕
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080620-00000909-san-soci
同団体は次回サミットでも何らかの活動をするものとされている。
間違いなく今回のことはグリーンピースが悪い、支持できない。
しかし、この逮捕とサミットは無関係ではないだろう。
環境保護団体による運動は西洋文化圏で盛んであるが、日本は本来自然と対立せず、むしろ自然に逆らわない中でそれを利用してきた文化を持っている。鯨に関してもグリーンピースの言うようなことがずべて肯定されるべきではないと思うが、確かに近代に入り、それまで以上に取っているのは確かだ。
世界中にはさまざまな食文化が存在する。しかし近代に入り、多少の変化が見られる。といってもこれは人間から見て「かわいい」動物を中心にしてである。
サルの脳みそを食べる中国の一部では、近年代用品として豆腐が使われているようだ。
韓国でも最近は犬を食べる人は少ない。
日本人も本来は好き好んで鯨を食べてきたわけではなく、あまりおいしくないのが正直なところなのだが、ここまで摩擦が起きているのだからもう取らなくてもいいようにおもうのだが。なんだか鯨を取ることが日本の威信がかかっているぞという動きになっているというか、意地になっているのではないか。また、鯨はめずらしい、高級だというイメージが広がり、利益を生んでいるのである。
環境保護のために、というのは本当に大切だが、同時に突き詰めていけば文明社会そのものが否定されなければならなくなる。
一体最終的にはどうしたらいいのか。
新しい科学の発展に期待するのみか、それとも人間個々の倫理の問題によって解決すべきか・・・。
ブント荒派のようにかつての左翼組織が環境保護団体となった例は多く、マルクスは環境問題も解決する!といわれるような運動が盛んになってきた。
うちの大学でも琵琶湖の環境を中心に環境問題は経済問題として取り上げられ始めているので、具体的に勉強していきたい。